【久保建英今夜リーガデビューか!?】アラフォーが日本人サッカー選手の海外挑戦について語る

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DAZNに入りました。

これで毎週レッズ戦が観れる!メチャ嬉しい☆


レッズもそうだけど久保建英が観たかった。

結局は今季はレンタルでマジョルカでプレーする事にはなったが、活躍してくれるか楽しみ。

最新の情報では9月1日のソシエダ戦デビューが濃厚のようです。

マジョルカで結果を残し、いつの日か是非またレアルに帰ってきて欲しい。

それにしても日本人がレアルマドリードの一員となる日が来るとは。

サッカーファンにとってこれは革命ともいえる大事件と言っていい。

日本人サッカー選手の世界への挑戦はかなり前から遡る。

このあたりをアラフォー世代に語らせると相当長くなる。

世界への扉を叩いた三浦知良

若者よ知っているか?

三浦知良がセリエAのジェノアに移籍した時、テレビのニュース速報が流れ、2時間の特集番組が組まれたんだぜ。

カズはいつだって日本サッカー界のパイオニアだった。

当時アジア人として初のセリエAプレーヤーとして海外挑戦。

開幕戦でいきなりフランコ・バレージに鼻を折られ、早くも戦線離脱という散々なデビューであった。

結局カズはシーズンで21試合に出場したものの、記録したゴールは僅か1。

しかしカズのこのチャレンジは、日本サッカー界にとって非常に大きな意味を残した。

世界に日本人の実力を示した中田英寿

カズに続きセリエAに挑戦したのは中田英寿。

フランスワールドカップ終了後、98年にペルージャへ移籍。当時21歳。

そのデビュー戦はフジテレビによって深夜生中継された。当時VHSに録画してみた。

そして前年度チャンピオンのユベントス相手に堂々の2ゴールという衝撃的なデビューを飾る。

キングカズの記録を1夜にして塗り替えてしまったのだ。

あの時のユーべにはジダン、デルピエロ、インザーギ、ダービッツらがいた。

その後シーズンを通しコンスタントに活躍した中田はペルージャを降格の危機から救い、チームのなくてはならない存在に。

あの頃は深夜のセリエAダイジェストを毎週楽しみにしてて、月曜日には学校でみんなでスポーツ新聞にかじりついていたっけ?

ピアチェンツァ戦でのオーバーヘッドは日本人が海外で決めた最も美しいゴールの一つ。

ペルージャで評価を高めた中田はその後名門ローマへ電撃移籍。

この時の移籍金約32億円は、中島翔哉に破られるまで日本人の移籍金額歴代トップだった。

しかしローマでは中田はエーストッティの壁を超えることは出来ず、レギュラーとして定着できなかった。

それでも限られた時間の中で結果を出す。

チームが優勝争いをする最中、とうとう後に伝説の試合となるユベントス戦で価千金のゴールを決める。

この天王山を制したローマはスクデットを掴むのだった。

日本人として初のヨーロッパリーグ優勝を経験した。

あの日のユベントス戦の中田の活躍は、20年近くたった今もローマっ子の胸に鮮明に刻まれている。

日本人の評価を更に高めた中村俊輔

中田の後に世界へ羽ばたいていったのは中村俊輔。

セリエAのレッジーナでの活躍により、スコットランドの強豪セルティックへ移籍。

CLの常連チームだ。

瞬く間にチームの絶対的エースとしての地位を確立。

セルティックをリーグ連覇へと導き、自身も年間MVP獲得という快挙を成し得る。

更にはアシスト王、ベストゴール賞も獲得し、スコットランドサッカー界の一躍ヒーローとなった。

その後自らのリーガ挑戦の為、中村は惜しまれながらチームを退団。

これ程チームのサポーターに愛された日本人はいない。

CLでオールドトラフォートでマンU相手に決めたフリーキックは忘れない。

最も頂点に近づいた日本人香川真司

ドルトムントでフィーバー、世界にその名を轟かせた香川真司。

とうとう日本人が世界最高峰のチームでプレーする日がやってきた。

マンチェスターユナイデットへの電撃移籍。

マンUでも一時期はハットトリック等を決め、ドルトムントでの輝きを英国の地でも放つのかと期待した。

ところがこれまで25年以上も同チームを率いていた名将ファーガソン監督が引退し、事態は急展開。

新監督体制となり香川は次第に出場機会を失っていく。

プロとして初のシーズン無得点という残念な結果でチームを去ることになる。

ちなみにマンUには香川の前に韓国代表の朴智星が在籍していた。

朴智星は主力として定着。プレミア優勝を4回も経験し、CL決勝のピッチにも立っている。

悔しいが中田のも香川も朴智星の壁を超えることはできなかった。

今でもアジア人で最も成功を収めたサッカープレーヤーは朴智星。

 

真のワールドクラス本田圭佑

まさか日本人がACミランの10番をつける日が来るなんて。

リトル本田がミランの10番を付けてプレーをしたいと言っている。

センセーショナルな入団会見により、世界がこの金髪の日本人に注目した。

彼がミラン入団を小学校の卒業アルバムの夢として書いていたエピソードはあまりにも有名。

宇佐美がバイエルンへ、稲本がアーセナルへ移籍した時、正直世間の期待はさほどなかっただろう。

しかし本田△のミラン加入には日本中がゾクゾクした。

ミラノダービーでの長友との対決は日本のサッカーファンを感動させた。

そんな本田△もやがては監督交代の煽りを受け構想外となり居場所を失ってしまう。

決して自分の主張を曲げず、どんな世界の名プレーヤーとも対等に渡り合う。

カカとフリーキックでどっちが蹴るかガチで言い争っているシーンは印象的。

本田圭佑は真のワールドクラスとはどういうものか?という事を教えてくれた。

 

 

 

というようにこれまで日本人海外サッカーの挑戦は非常に長い歴史があるのだ。

三浦知良
(先駆者)

中田英寿
(日本人でも世界に通用する)

中村俊輔
(日本人はサッカーがうまい)

香川真司
(日本人が世界最高峰のチームの一員に)

本田圭佑
(日本人も世界のトッププレーヤーに匹敵)

久保建英 ←今ここ

この他に番外編で奥寺編や前園編、小野伸二編もあるのだがこれらを含めると、一晩たっても書ききれないので今日はここまで。

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