久保建英くんの父親の著書”おれ、バルサに入る”がようやく入手できました!
この本が現在プレミアがついて値段が急騰しており入手困難な事は前回記事で書きました↓
そして、図書館で予約して待つこと約4カ月、ようやく手にする事ができたのです。
私は自分の子供にもサッカーをやって欲しい、と実は密にかに思っているのですが、子供が育つ環境という点に非常に興味を持っていました。
以前澤穂希さんの著書を読んだことはありますが、残念ながらあまりそのことには触られておらず。。。。
ほまれ —なでしこジャパン・エースのあゆみ
その点、”おれ、バルサに入る”にはバルサに入った経緯はもちろん、生まれてからどのようにサッカーに触れさせてきたかが事細かく書かれており、
著者が実の育ての親ということもあるでしょう。
実におもしろく、2日で読んでしまいました。
本書では久保建英が実際に実践していたサッカーのトレーニング方法なども紹介されておりますが
今回は彼が育った”環境”という点に焦点を置いてメモと感想を書いていきます。
父親の久保建史さんについて
くぼたけふみさんと読みます。
昭和46年、和歌山県出身、筑波大学体育専門学群卒業。
ご自身は中学まで野球をやっていたそうで、サッカー歴は高校3年間と大学4年間
名門筑波大学サッカー部では、レギュラーにはなれなかったものの、当時から地域の少年サッカーの指導にあたっていたそうです。
平成6年からミサワホームに勤務しており、一時期は仙台で単身赴任もされていたようです。
ミサワホームでは総務部長を務められているとか
参考:ミサワホームの平均年収703万円 (有価証券報告書調べ)
久保建英がバルセロナへ入団できた経緯
久保建英がバルセロナに入団する前に、日本で行われたバルサキャンプに参加しMVPに選ばれたことは周知の事実ですが
実はこれには、バルセロナ入団の夢をかなえる為に、親子で練った綿密な計画があったのでした。
・バルサに入るはどうしたらよいか? → バルサのカンテラ(下部組織)に入る
・外国人がバルサのカンテラに入るには? → バルサスクールの選抜チームに入る
・バルサスクールの選抜チームに入るには? → バルサキャンプに参加しMVPをとる
・バルサキャンプでMVPをとるには? → バルサに気に入られる選手になるため徹底的に練習
久保建英が初めてバルサに入りたいと言ったのは6歳の頃だったそうです。
バルセロナに入団する為に、下部組織からトップチームへあがる道を考えました。
外国人が下部組織に入団するには?
リサーチをしているといくつか手段があることを知ります。
その中でもバルサスクール選抜に入り国際大会で活躍するというルートが最も可能性があるのではないかと考えました。
バルサスクールとは同クラブが運営するジュニア向けサッカースクールで、各チームからトップクラスの選手を寄せ集めたのが選抜チームです。
そしてこのバルサ選抜チームに入る事ができる方法として、バルサキャンプの存在を知ったのです。
2005年から主に大阪や横浜で毎年開催されているバルサ公認のイベントで、5日間のメニューの中でMVPに選ばれれば、特典としてバルサスクール選抜に入れるのです!
バルサキャンプの参加対象年齢は6歳から小3までで、建英が7歳になった時に照準を合わせ、一発合格をするべく2年前から準備を行っていたのです。
久保建英の両親ががんばったこと
久保建英をバルセロナへ入団させることができた背景に、ご両親のすさまじい努力があったことが読み取れました。
今回この点が最も印象に残りました。
毎朝近所の公園でサッカーの練習
サッカーを始めてからバルセロナに入団するまで、毎朝1時間近所の公園で練習をしていたそうです。
小雨でも出かけていた為、年間で350日ほど練習していたとのこと。
朝の貴重な時間を1時間割く自体が相当な事ですよね。
バルセロナへ入団させる為の徹底リサーチ
一体どうすれば外国人がバルセロナに入団できるのか?
まず、その発送が思い浮かぶ時点で凄いと思うのですが
当時松村尚人さんのブログを頼りに必死で情報収集を行っていたそうです。
また、バルサキャンプの際もどのようにすればMVPをとれるか?
つまりバルサコーチ陣に気に入られる選手の特徴をヒアリングにより研究
更に前年度のキャンプを実際に見学し、確認した練習方法を何度も繰り返しました。
晴れてキャンプのMVPに選ばれてスペイン行きを果たしますが、ここでもぬかりはありません。
過去MVPに選ばれるも、コンディション不足の為に十分な実力を発揮できない子がいたことを知ると、自分の息子は大会が始まる8日前から現地入りさせ環境に慣れさせました。
その結果大事な国際大会の場で大活躍することができたのです。
極めつけは帰国後の営業活動
知人の協力により、横浜でバルサコーチら3人との懇親会をセッティングしました。
目的は翌年の春から正式にバルサのカンテラで練習させてくれるよう取り計らってもらう為でした。
こうして見事に正式にバルセロナへ加入することができ、目標をコンプリートさせたのです。
親も一緒になって勉強
本書では第6章の見出しにに”親はマネージャーになる”とあります。
親も一緒になっていろいろな本や動画を見てサッカーの研究をしました。
特に父親が、息子のサッカー上達の為に大切だと感じた雑誌の記事を全てメモで残しており、本の最後に紹介されております。
他には正しく歩く練習や、可動域を広げるストレッチ方法をネットで調べて実践したり
できるだけ体への負担を減らすために、スポーツクリニックからマッサージ方法を学んだりもしました。
こうしたメンテナンスの結果、大きなケガをしたり練習を長期で休んだりすることはほとんどなかったそうです。
あとはスペインへ渡る前には、母親とNHKのスペイン語講座のCDや単語帳を使ってスペイン語の勉強を行いました。
海外移籍をしてチームメイトと全然コミュニケーションがとれていないJリーガーたちも見習うべきです。
久保建英を育てた教育方針
天才サッカー少年はどのようにして育てられたのか?一番興味があった点です。
家にたくさんのボールを置いた
ハイハイを始めた頃からリビングに大小たくさんのボールを転がしておいて、歩けば自然とボールに触れる環境づくりをしました。
ボールはビニールボール、テニスボール、フットサルボールなど様々で、多い時で大小15個のボールが籠に入っていたこともあったそうです。
そして1000円くらいのパイプ製のゴールを買ってリビングで何百試合も行いました。
室内用のサッカーゴールはこういうやつですかね↓
ネイマールも家の中でドリブルばっかして育ったって言ってましたね。
とりあえず明日10個くらいボール買ってきます。
片足立できるように
サッカーはボールを蹴った後に片足立ちになります。
なのでまずは片足立できるようにするのが重要だと考えたそうです。
子供に片足立ちさせる方法としては、例えばケンケン遊びなどがあります。
長男だけど次男のように育てる
これは奥さんの意見だったようです。その理由を聞くと
なんでも自分で工夫してできるようになる。積極的に自分から行動を起こすするようになる。
だそうです。
子供はお兄ちゃんやお姉ちゃんと遊ぶ時、なんとかと年上についていこうとあれこれ自分で工夫するようになります。
そしてゲームにしてもサッカーにしても、待っていても自分の出番が回ってこないので、積極的に自ら行動するようになるのです。
サッカー選手でもカズ、本田圭佑、遠藤保仁(三男)など、次男が多いのは確かな事実で、この理論はあながち間違っていないと思います。
そして年齢をまたいだ遊びができる環境を求め、たどり着いたのが川崎市麻生区を中心に活動をしている自主保育団体でした。
自主保育とは、親と子が一緒になって遊ぶ、自分以外の子供の面倒もみる、のような取り組みをいうのだそうです。
久保建英は2歳からこの自主保育団体に参加し、様々な年代の子らと多くの体験をしました。
ちなみによく活動していた場所は、近所にある弘法松公園というところだそうです。
家を居心地のいい空間にしない
外遊びを徹底させる為に、家を居心地の良い空間にしてはダメ!
という発想のもとリビングにソファを置かない、ゲーム、おもちゃも極力買わないという方針を徹底したそうです。
外で裸足で遊ばせる
足裏は健康のパロメーター
という訳で、外で遊ばせる時には足裏感覚を養う為に裸足で遊ばせました。
足元は重要ということで、私も靴にはお金をかけるべき、という話は聞いたことがあります。
子供の場合のちのち成長することがを考えて、つい一つ上のサイズの靴を買ってしまいがちですが
その時その時にベストな靴をはかせるのが良いそうです。
ベビーカーを使わない
極力自力で歩かせて体力をつける為に、ベビーカーを使わせませんでした。
せがまれても歩かせるためのコツも書いてあり、非常に参考になりました。
これは親も非常に助かります。
いろいろな経験をさせた
ネットや市の広報誌に掲載させていたイベントに積極的に参加
お寺の座禅、シーカヤック、レスリング教室、ラグビー、陸上、水泳などサッカー以外にもいろいろな経験をさせたそうです。
その目的は、根拠のない自信を持たせること
根拠のない自信とは
”俺持ってる”、”俺できる”、”おれやったことある”、”俺行った事ある”のようなことだそうです。
たくさん本を読ませた
想像力と集中力をつける為、徹底的に絵本の読み聞かせをさせました。
久保家には絵本が400冊以上あるそうです。
読書の習慣はその後も続き、毎週近所の図書館へ行ってはマックスまで本を借りる生活がしばらく続いたそうです。
頭で考える習慣をつける為に本以外でも、例えば送迎の車の中でも宮沢賢治のお話CDや世界名作シリーズのカセットテープ等をきかせました。
確かに読書はテレビで映像をみるよりあるかに考える訓練になると思います。
子供教育に読書は非常に共感を覚えます。
久保建英プロフィール
久保建英のプロフィールを改めて整理します。
幼稚園入園前
川崎市麻生区の自主保育団体に2歳から4歳まで参加します。
幼稚園
外遊びが多いという理由で、自宅から車で15~20分ほどの風の谷幼稚園に通いました。
幼稚園3年間で、いちご狩り、タケノコ狩り、散歩、遠足、梅もみ、桑の実取り、ジャガイモ堀り、お泊り合宿、落花生堀り、栗拾い、柿もぎ、さつまいも堀り、大根の収穫など盛りだくさんのイベントを体験しました。
やはりここでも、とにかくいろんな経験をさせる事にこだわりがあったようです。
幼稚園時代は、朝9時半から2時半まで(時には4時半までひたすら外で遊ぶ)
2時半に終わって物足りない時は市民プールに行って遊ぶ
所属サッカーチーム
幼稚園の年少からサッカースクールに通い始めました。
通常は年長からしか入れないところを、許可を得て入団します。
スクールの後はアフターと称して、田んぼや用水路でザリガニやドジョウを捕まえて家に持ち帰っていた
絵に描いたようなわんぱくです。
小学校1年生からは試合数が多いという理由で、FCパーシモンを選び入団します。
FCパーシモンでは1年生の時に96試合(88勝4敗4分200得点)
2年生の時は138試合(127勝7敗4分326得点)をこなします。
かなり強豪チームですね。
この強豪チームの中で1年生の10月から一つ上の2年生チームに飛び級で昇格しプレーをしました。
更に2年生の9月にもまた3年生チームに入りプレーをしました。
小学校3年生から川崎フロンターレの下部組織に入団します。
バルサキャンプでMVPをとったのは2年生の時だったので、入団前から有名でしたでしょうね・
小学校
小学校は川崎市立西生田小学校に通っていたようです。
本には載っていませんが、調べたらここが有力とのこと。
日本の小学校にはスペインへ渡る4年生まで通います。
久保建英の子供時代のスキル
久保建英が子供時代どれだけすごかったのか?
本を読んでいると当時のサッカースキルや運動神経を垣間読み取れることができたので記しておきます。
幼稚園入園前に素潜りできる
よくお父さんに市民プールへ連れて行ってもらったそうで、なんと幼稚園入園前にはプールの底に落ちていたロッカーのカギを素潜りでとることができたそうです。
幼稚園でエラシコとシャペウをマスター
サッカー動画をくりかえし見てはお父さんと練習していたそうです。
当時バルセロナで活躍していたロナウジーニョの動画をみて、5歳の時にエラシコをマスター、そして幼稚園在園中にシャペウも覚えちゃったそうです。
リフティング記録
年少でワンバウンドリフティング200回、年長でノーバウンドリフティングを200回、小1で1000回以上できたと書いてあります。
私の子供時代では小学校高学年でリフティング1000回できる子がいれば神扱いでした。
小2で無回転シュートをマスター
ある日お父さんがふと自分の息子がドライブシュートを打てていることに気付きます。
ドライブシュートは足首の柔らかさと踏み込みの深さによって打てるもので、毎日のシュート練習にて自然と身についてしまったようです。
大空翼が初めてドライブシュートを打ったのは中学生の時の比良戸戦なので、キャプテン翼超えしたことになります。
同様に小2の時点で無回転シュートも打てるようになったそうです。
まとめ感想
素晴らしい本でした!妻にも読ませます。
現在入手困難となっておりますが、是非増版または電子版も出して欲しいです。
プレミア価格でも買っちゃっていいなじゃないでしょうか?
実際に自分の子供が小学生くらいになったら、トレーニング方法の部分なんかを読み直したいです。
またサッカーのことを抜きにして、その教育方針に共感できる部分がたくさんありました。
例えば子供の意思やメンタルの部分を最も尊重するという点など。
普通の育児本としても楽しめると思います。
久保建英選手のご両親が、しっかりとしたビジョンを持った素晴らしいお方という事がわかりました。
コメント
K博士のSLD-MAGICの熱処理の半冷焼入れのデータ機械の歯車なんかに役に立ったよ。